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源頼信ら源氏三代の墓と通法寺跡 河内源氏発祥の地 羽曳野市通法寺・壺井

河内源氏の祖、源頼義墓(大阪府羽曳野市壺井) 南大阪のスポット案内
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源頼朝を生んだ武門源氏と呼ばれる名門の氏族が河内源氏と呼ばれる氏族です。その祖先とそれに続く3代の墓が実は大阪府羽曳野市壺井に静かに鎮座しています。

河内源氏と大阪府羽曳野市壺井

 河内源氏の祖、源頼信はこの河内国石川郡の地に所領を築き経済的基盤としました。その屋敷があった地域が現在の大阪府羽曳野市壺井地域です。通法寺が築かれた土地は現在、通法寺という地名になっています。

羽曳野市通法寺の南は富田林市との境界線ですが、富田林市側にも隣接して通法寺町という地名が残っています。

通法寺跡

長久4年(1043年:平安時代)に源頼信の子、源頼義が猟の際、谷で千手観音像を発見し、建立したのが通法寺の始まりとされています。河内源氏の氏寺(菩提寺)でした。

通法寺跡に残る山門(大阪府羽曳野市)

 その後、南北朝時代(室町時代)の戦火で焼かれるなどして荒廃しました。江戸時代になって当時の第5代将軍徳川綱吉に子孫が願い出て、柳沢吉保らによって再興しました。明治元年(1868年:明治時代)の廃仏毀釈により廃寺とされ、山門、鐘楼のみを残して現在に至っています。

現在は、それら山門、鐘楼と建物の礎石などが残っています。

桜の季節は桜が咲き、綺麗とのことです。

山門脇に小さなトイレがあります。

通法寺跡に残る鐘楼跡です。

夏草の中に眠る通法寺跡の鐘楼跡

廃寺となっているので釣鐘はありません。

夏草の中にひっそりと眠っています。

河内源氏三代の墓

この河内国石川郡壺井荘の地を地盤にした河内源氏一族ですが、活躍は平安京の都から全国にわたります。しかし、貴族やもう一つの武家の名門、平家とのあらそいで劣勢に立たされることが多かった河内源氏は東国に活路を見いだし、現在の関東地方に勢力を伸ばしていきます。河内源氏の流れにある源頼朝が鎌倉で幕府を開いたことにも関わってきます。

そのため、河内源氏の祖の源頼信、二代目源頼義、三代目源義家の三代の墓はこの壺井の地にあります。

河内源氏二代目棟梁の源頼義の墓は通法寺跡内にあります。

河内源氏1代目の源頼信の墓と3代目の源義家の墓は通法寺跡の南にある丘の上にあります。
2023年夏から大雨による土砂崩れで通行止めになっていましたが復旧工事が2024年1月に完了しました。

源頼信墓

源頼信(西暦968年~1048年:平安時代)は河内源氏の祖と言われています。

清和天皇(西暦850~881年)から分かれた清和源氏の子孫の中で、武士団を形成した多田源氏(源満仲)の子らがそれぞれ長男源頼光は摂津源氏の祖となり、次男の源頼親は大和源氏の祖となり、三男源頼信は河内源氏の祖となったのでした。

源頼信墓 夏

源頼信はこの河内国石川郡壺井荘の地に本拠地をかまえ、東国に進出し、源氏の本流:河内源氏の流れを作ります。
鎌倉幕府を開いた源頼朝はこの源頼信の子孫にあたり、河内源氏の流れにあります。

源頼信の墓は通法寺跡から南方にある丘陵地の上に源義家墓とともにあります。

源頼義墓 

源頼義墓

源頼義(西暦988~1075年)は河内源氏の祖、源頼信の長男で河内源氏二代目棟梁です。『今昔物語集』で取り上げられるくらいの武芸の達人であったと言われています。

 通法寺を建立した源頼義は通法寺の本堂の下に葬られたとあり、現在も通法寺跡の敷地の中に墓はあります。現在の墓石は明治時代なって作られたとあります。

 前九年合戦に勝利した源頼義は1063年に鎌倉に鶴岡若宮(現在の鶴岡八幡宮)を石清水八幡宮と壺井八幡宮から勧請し建立しました。

源義家墓

源義家墓

源義家(西暦1039~1106年)は源頼義に長男で河内源氏三代目棟梁です。八幡太郎との通称をもちます。源義家の墓は通法寺跡から南方にある丘陵地の上に源頼信の墓とともにあります。

源氏舘跡

 源氏館跡との案内看板がありますが、場所ははっきりわからないとのこと。看板には「壺井八幡宮が鎮座する丘の上にあると伝えられている」とあるのでこの場所ではないような気はするのですが。でも通法寺跡と源氏三代の墓の近くでもあるので雰囲気は楽しみたい。

大僧正隆光墓

大僧正隆光墓

 大僧正隆光(1649~1724年:江戸時代)は江戸時代中期の僧侶で大僧正は僧侶の最高位を表しています。5代将軍徳川綱吉の信任を得て、影響を与えたと言われています。綱吉が死去した後は失脚し江戸から故郷の大和に帰ったとされています。墓は奈良県平城宮跡にもあります。

 隆光の尽力で綱吉は通法寺の再興を行いました。

河内源氏の氏神、壺井八幡宮

河内源氏の氏神である壺井八幡宮はこれら通法寺跡、河内源氏三代の墓から北へ600メートルほど行ったところにあります。

詳しくはこちらをご覧ください

両方合わせて河内源氏の里をめぐる案内はこちらです

河内源氏発祥の地をめぐる 壺井八幡宮 源頼信墓 通法寺跡 大阪府羽曳野市
源頼朝を生んだ名門の武士の血筋、河内源氏。その河内源氏発祥の地は大阪府の南大阪、南河内の羽曳野市壺井にあります。彼らの氏神であった壺井八幡宮、氏寺であった通法寺跡と河内源氏三代の墓をめぐってみました。

アクセス

近鉄長野線喜志駅から4市町村バス(喜志循環線か阪南線)に乗車して太子四つ辻下車。通法寺跡まで徒歩約900メール、12分ほどです。
4市町村バスの路線・時刻はこちら
通法寺跡に数台の駐車スペースがありますが、集落中を抜ける道が非常に狭隘なので、バス停かお近くのコインパーキングから歩かれることをお勧めします。

参考

このページ・サイトの作成で大いに参考にさせていただいているのは
『大阪府の歴史散歩 下』山川出版社
『新版県史27 大阪府の歴史』山川出版社
『河内源氏』元木泰雄著 中公新書
です。ぜひご一読ください。

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