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  1. 南河内在住の筆者が、大好きな南大阪と南河内を紹介します。
  2. 筆者の好きな情報を趣味的にアップしていきます。

この二つがこのブログの目的です。南大阪(堺・泉州・南河内・大阪市内南部)は本当に魅力たっぷりです。

南大阪は大変、歴史が深いエリアです。日本の神話の中の舞台になっています。古代には大王や豪族の墓として古墳が無数に作られました。そして飛鳥・奈良とともに日本で重要な地域となり、聖徳太子などのゆかりの地となります。そして中世になると武士が生まれてきます。源頼信ら河内源氏は鎌倉幕府の初代征夷大将軍(鎌倉殿)である源頼朝の源流にあたります。南北朝時代のステージとなり、楠木正成などが活躍します。また大規模な灌漑がおこなわれ、農業生産は増す一方で、自治都市として堺の街が繫栄します。戦国時代には織田信長とその対抗勢力のぶつかり合いの舞台となり、この戦火で多くの寺社などの歴史的建造物が失われました。江戸時代には天下の台所である大坂の後背地として数々の農業、産業生産物が定着してきます。また、大和川や淀川の付け替えなどが行われ、大規模な土木・治水事業が行われました。

南大阪は重層的に歴史の物語を重ねてきた地です。その時代時代に全国的な意義を持つ出来事にからんだり、それそのものがこの地で起こり、その出来事に関しての無数の物語が同じような地域に積み重なってあります。そのため、人々は長い歴史と隣り合わせに暮らしてきている地でもあります。今現在、住んだり、働いている場所のすぐ近所に1000年をゆうに超える小さな史跡があちらこちらにあったりする。それが南大阪です。そのことは、歴史好きの人でなくても癒しをあたえてくれているように思えます。

私たちが悩んだり、悲しんだりするとしても、悠久の歴史をきざむ地の木立を眺めながら同じように悩んだり悲しんだりすると、また違うように思えるのです。

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