大阪府太子町(たいしちょう)にある叡福寺(えいふくじ)は全国的には一般的にはあまり有名ではありませんが、聖徳太子(しょうとくたいし)の墓を守るお寺として歴史好きな方や地元では古くから有名です。
広い敷地に数多くの歴史的な史跡が残っており、充分に貫禄ある寺院です。ぜひ訪れていただきたい旧跡です。なにせ、その広さに驚きます。もっと普通に有名でもおかしくない規模の寺院です。
叡福寺はどんなところ? ロケーション
大阪府の南東部、南河内郡太子町(たいしちょう)にあります。寺院北側の丘陵地の斜面に聖徳太子墓(磯長廟:しながびょう)があります。東に金剛山地の二上山があり、そのすそ野に位置していて、東から西へのゆるやかな下り斜面にあります。周囲は古い歴史的町並みと大阪のベッドタウンとして開発された新興住宅地で山に近い自然豊かな静かな場所です。
寺院の東に隣接して「太子・和みの広場」があります。広々とした芝生の公園で、家族連れや地域の子どもたちの遊ぶ姿がたくさん見られます。お弁当をひろげてピクニックにも最適です。
公園から叡福寺に直接入れる出入口があり便利です。公園に隣接して駐車場があります。
同じ時期に整備された日本最古の国道(官道)である竹内街道(たけのうちかいどう)は叡福寺から1キロほど東にあります。
叡福寺のゆかり
聖徳太子が生前に墓所として選定していた場所に、西暦622年(飛鳥時代:あすかじだい)の聖徳太子の死後、墓が築かれ、そこに当時の推古天皇が聖徳太子墓(磯長廟:しながびょう)を守るために建立したのがこの叡福寺です。
以降、聖徳太子が建てた四天王寺、法隆寺とともに聖徳太子信仰の中心地となっています。また、時の権力者に重視されてきました。
1574年(安土桃山時代:あづちももやまじだい)の織田信長の兵火により焼失しましたが、主な建物は豊臣秀頼(豊臣秀吉の子)など江戸初期から中期にかけて再建されました。
羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)が「中の太子」、八尾市の大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)が「下の太子」と呼ばれ、叡福寺は「上の太子」と呼ばれています。
毎年4月11日・12日には大乗会式(だいじょうえしき)という行事が行われます。
見どころ
聖徳太子ゆかりの3寺院のうちの一つとあって、古い歴史とともに貴重で重要な史跡がたくさんあります。
南大門
南側に正面に石階段の上に立っています。赤い柱が印象的です。この門は1574年(天正2年)の兵火で焼かれて再建され、腐朽のために1958年(昭和33年)に再々建築されたものです。
聖徳太子墓(聖徳太子御廟、叡福寺北古墳)
南大門から入場して正面に聖徳太子の墓があります。直径約55mの円墳、つまり古墳で、一見は小高い森になっています。学術的には叡福寺北古墳(えいふくじきたこふん)と命名されています。聖徳太子本人と母の穴穂部間人皇后、太子の妃の膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられることから、三骨一廟と呼ばれています。
多宝塔
南大門から入ってすぐ左側(西側)にあります。1652年(承応元年)江戸の豪商である三谷三九郎によって再建されました。国指定文化財です。実物は写真で見るよりずっと大きく見えます。
金堂
南大門から入って聖徳太子墓への参道の左側(西側)にあります。叡福寺で一番大きな建物で、迫力があります。1732年(享保17年)に再建されたものです。
聖霊殿(太子堂)
南大門から聖徳太子墓への参道の左手がわ、金堂の北側にあります。ひっそりと建っていますが重要な建物です。国指定重要文化財です。
叡福寺が織田信長の兵火によって焼かれた後、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼により再建されたと伝わります。
客殿
天正年間(1573~1592年:安土桃山時代(あづちももやまじだい))に建てられたと伝わります。高屋城(羽曳野市)が織田信長により落城した際にその木材で建てられたと伝わっています。
境内の様子
敷地は広々としており、玉砂利が敷き詰められていてとても明るくてきれいです。二上山の山麓の丘陵地帯の斜面に建設されており、見晴らしがいいです。
その他の施設
社務所は南大門から入って右側にあります。お守りやおみくじが販売されています。
トイレは南大門から入ってすぐに右側にあります。
アクセス
叡福寺へのアクセスは
近鉄長野線喜志(きし)駅下車、近鉄バス 喜志循環線に乗車し「聖徳太子御廟前」にて下車、すぐ。
近鉄南大阪線上ノ太子駅下車、太子町コミュニティバス 太子中央循環線、上ノ太子駅町内周回線「和みの広場前」または「聖徳太子御廟前」にて下車すぐ。
太子町内のバスの案内はこちら↓
※バスの路線、時刻は2023年12月20日金剛バス廃止により大きく変わっています。事前に町役場、近鉄バスのWEBサイトにてご確認ください。
自動車では南阪奈道羽曳野東IC、または太子ICから太子町内、叡福寺へ。
叡福寺の住所 大阪府南河内郡太子町太子2146
もっと知りたい 参考にしたサイト
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